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各種表面処理を施したステンレス鋼のXPS分析

1.はじめに
 ステンレス鋼は、その表面を数nm程度の極めて薄い不動態皮膜(Crに酸素、水酸基、水が結合した化合物)が覆っているため耐食性に優れています。 そのため素材そのもので使用されることも多いですが、二次加工(溶接などの熱加工や切削などの機械加工)後には、バフ研磨や電解研磨などの表面処理を行うことがあります。
 この様な背景の中、素材そのものや表面処理後のステンレス鋼の耐食性評価が求められる場合があります。しかし、ステンレス鋼の腐食試験方法は、多くの方法が存在しますが、どれも簡便な方法とは言い難く、処理品の評価は難しいのが現状です。 一方で酸洗や電解研磨により耐食性は向上するとされており、この処理ステンレス鋼の不動態皮膜は、未処理品とは構造が異なるという報告がされています1)2)
 そこで、各種表面処理を行ったステンレス鋼の不動態皮膜の構造について、比較的簡便なXPS分析で解析し、得られた結果を耐食性評価に利用することを検討しました。

2.実験
2.1 試料
 実験に供した試験片は、ステンレス板(SUS304)のNo.1仕上げ材(試料A)、2B仕上げ材(試料B)、2B仕上げ材を酸洗(試料C)、バフ研磨(試料D)、電解研磨(試料E)したものです。なお、酸洗では硝ふっ酸水溶液、次いで硝酸水溶液での処理を行いました。
2.2 XPS分析
 XPS分析では、深さ方向の各元素の濃度分布(デプスプロファイル)、Cr2pおよびFe2pスペクトルの測定をArイオンエッチングにより行いました。用いたXPS分析装置は、サーモフィッシャーサイエンティフィック株式会社製K-Alphaです。X線源は、単色Al Kα線を用い、照射径は400μmとし、中和銃を使用しました。定性分析であるサーベイスキャンは、パスエネルギー200eV、エネルギーステップ1eVとしました。ナロースキャンは、Cr2p、Fe2pスペクトルについて、パスエネルギー50eV、エネルギーステップ0.1eVとして行いました。Arイオンエッチング条件は、SiO2換算で10nm/minとなる加速電圧3kV、エッチングエリア2×2mmとし、エッチング間隔は3secで合計42secエッチングしました。
        
3.結果
 深さ方向分析においてC、O、Cr、Fe、Niの濃度の合計が100Atomic%となるようにして求めたデプスプロファイルを図1~5に示します。全ての試料において21秒エッチング面より浅い表面付近でCr濃度が高くなっています。これは不動態皮膜が形成されているためと考えられます。また、化学的処理(酸洗、電解研磨)試料は、未処理(No.1仕上げ材、2B仕上げ材)およびバフ研磨試料よりも表面付近にCrが濃縮していることが確認できました。
 Cr2pスペクトルにおいては、金属Crのピーク位置は574eV付近、Cr酸化物のピーク位置は576eV付近です。このことからCr2pスペクトルの深さ方向変化(図6~10)では、化学的処理試料は、未処理およびバフ研磨試料よりも浅いところにCr酸化物が濃縮していることが確認できます。例えば試料BとEの比較において、9秒エッチング面(図11、12)では、試料Eの方が576eV付近のピークが高くなっています。そして15秒エッチング面(図13、14)では、試料Bは576eV付近のピークが574eV付近よりも高いですが、試料Eは574eV付近の方が高く、電解研磨試料は2B仕上げ材よりも浅い位置にCr酸化物が濃縮していることがわかります。
 Fe2pスペクトルにおいては、金属Feのピーク位置は707eV付近、Fe酸化物のピーク位置は710eV付近です。このことからFe2pスペクトルの深さ方向変化(図15~19)では、未処理およびバフ研磨試料は、化学的処理試料よりも深くまでFe酸化物が存在していることが確認できます。例えば試料BとEの比較において、3秒エッチング面(図20、21)では、試料Eの方が707eV付近のピークが高くなっています。そして6秒エッチング面(図22、23)では、試料Bは710eV付近のピークが707eV付近よりも高いですが、試料Eは707eV付近の方が高く、2B仕上げ材は電解研磨試料よりも深くまでFe酸化物が存在していることがわかります。また、このエッチング面において試料Bの710eVのピーク高さは、試料Eより高いことから、2B仕上げ材は電解研磨試料よりもFe酸化物の存在量が多いこともわかります。
 最大Cr濃度(表1)については、試料Eが一番高く、次に試料Cが高くなっています。また、9秒エッチング面でのCr/Fe濃度比(表2)についても、試料Eが一番高く、次に試料Cが高くなっています。これらのことから化学的処理試料は、未処理およびバフ研磨試料よりもCrが濃縮し、さらに酸洗よりも電解研磨の濃縮度合いが大きいことがわかりました。
図1 デプスプロファイル(試料A)
図1 デプスプロファイル(試料A)

図2 デプスプロファイル(試料B)
図2 デプスプロファイル(試料B)

図3 デプスプロファイル(試料C)
図3 デプスプロファイル(試料C)

図4 デプスプロファイル(試料D)
図4 デプスプロファイル(試料D)

図5 デプスプロファイル(試料E)
図5 デプスプロファイル(試料E)

図6 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(試料A)
図6 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(試料A)

図7 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(試料B)
図7 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(試料B)

図8 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(試料C)
図8 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(試料C)

図9 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(試料D)
図9 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(試料D)

図10 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(試料E)
図10 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(試料E)

図11 9秒エッチング面のCr2pスペクトル(試料B)
図11 9秒エッチング面のCr2pスペクトル(試料B)

図12 9秒エッチング面のCr2pスペクトル(試料E)
図12 9秒エッチング面のCr2pスペクトル(試料E)

図13 15秒エッチング面のCr2pスペクトル(試料B)
図13 15秒エッチング面のCr2pスペクトル(試料B)

図14 15秒エッチング面のCr2pスペクトル(試料E)
図14 15秒エッチング面のCr2pスペクトル(試料E)

図15 Fe2pスペクトルの深さ方向変化(試料A)
図15 Fe2pスペクトルの深さ方向変化(試料A)

図16 Fe2pスペクトルの深さ方向変化(試料B)
図16 Fe2pスペクトルの深さ方向変化(試料B)

図17 Fe2pスペクトルの深さ方向変化(試料C)
図17 Fe2pスペクトルの深さ方向変化(試料C)

図18 Fe2pスペクトルの深さ方向変化(試料D)
図18 Fe2pスペクトルの深さ方向変化(試料D)

図19 Fe2pスペクトルの深さ方向変化(試料E)
図19 Fe2pスペクトルの深さ方向変化(試料E)

図20 3秒エッチング面のFe2pスペクトル(試料B)
図20 3秒エッチング面のFe2pスペクトル(試料B)

図21 3秒エッチング面のFe2pスペクトル(試料E)
図21 3秒エッチング面のFe2pスペクトル(試料E)

図22 6秒エッチング面のFe2pスペクトル(試料B)
図22 6秒エッチング面のFe2pスペクトル(試料B)

図23 6秒エッチング面のFe2pスペクトル(試料E)
図23 6秒エッチング面のFe2pスペクトル(試料E)


表1 最大Cr濃度およびそのエッチング時間
表1 最大Cr濃度およびそのエッチング時間

表2 9秒エッチング面でのCr/Fe濃度比Cr
表2 9秒エッチング面でのCr/Fe濃度比Cr

4.考察
 XPS分析結果において、化学的処理試料は、未処理およびバフ研磨試料よりも表面から浅い位置にCr酸化物が濃縮しており、Cr酸化物およびFe酸化物は深くまで存在していないことが確認できました。そして、Crの濃縮は、酸洗よりも電解研磨で顕著でした。なお、この濃縮の原因としては、ステンレス鋼は化学的処理においてFeがCrよりも多く溶出するためであると考えられます。 また、酸洗、電解研磨などの化学的処理はステンレスの耐食性を向上3)4)させますが、本研究の結果から、その要因は表面付近でのCr酸化物の濃縮であると考えられます。 以上のことから、XPS分析によってCr酸化物およびFe酸化物の挙動を確認すれば、表面処理したステンレス鋼の耐食性を判断できるものと考えられます。  また、ステンレスは、溶接によって酸化膜が生じテンパーカラーを呈しますが、この高温で生じる酸化膜は、不動態皮膜とは異なり耐食性を低下させることが知られています5)6)7)。そしてステンレス製品製造においては、溶接後にバフ研磨を行い、テンパーカラーを除去する場合があります。本研究では、このバフ研磨を行った試料の分析結果は、未処理試料とほぼ同じでした。 このことは、バフ研磨は、溶接による耐食性劣化を改善する有効な手段であることを示しています。
5.おわりに
 各種表面処理を行ったステンレス鋼の不動態皮膜をXPS分析により解析し、以下のことが明らかになりました。
①酸洗および電解研磨試料は、未処理およびバフ研磨試料よりも表面から浅い位置にCr酸化物が濃縮しており、CrおよびFeの酸化物は深くまで存在していない。また、Crの濃縮は、酸洗よりも電解研磨の方が大きい。
②XPSによる不動態皮膜の解析は、腐食試験より簡便であり、かつ各種表面処理したステンレス鋼の耐食性評価に応用できることを見出した。
③バフ研磨は、溶接による耐食性劣化を改善する有効な手段であることも確認できた。
参考文献
1)https://www.mst.or.jp/Portals/0/case/pdf/c0003.pdf
2)https://kistec.jp/wp/wp-content/uploads/koudo/pdf/vol3_no6.pdf
3)金子智,佐藤義和:“ステンレス鋼の化学的な研磨法の現状 ―電解研磨と化学研磨―”,表面技術,Vol.41,No.3,1990,pp.203-206.
4) http://www.iri.pref.niigata.jp/topics/R3/3kin9.html
5)藤井政夫,熊田誠:“18Cr-8Niステンレス鋼の孔食におよぼす酸化皮膜の影響”,日本金属学会誌,Vol.34,No.10,1970,pp.1005-1011.
6)呂戊辰,袁本鎮:“ステンレス鋼の高温酸化および孔食の研究”,日本化学会誌,Vol.1987,No.6,1987,pp.1054-1058.
7)東茂樹,幸英昭,村山順一郎,工藤赳夫:“ステンレス鋼の耐食性に及ぼす溶接スケールの影響”,Boshoku Gijutsu,Vol.39,No.11,1990,pp.603-609.
  問い合わせ:新潟県工業技術総合研究所
        下越技術支援センター   諸橋 春夫、水沼 達郎
        TEL:025-244-9168   FAX:025-241-5018
      (令和4年2月18日)