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不動態化処理ステンレス鋼の耐食性挙動

1.はじめに
 ステンレス鋼は、耐食性、機械的性質、表面の美観に優れているため、建築、輸送機器、家電から身近な家庭用品にいたるまで様々な分野で利用されている。このステンレス鋼の特徴である高い耐食性は、その表面に不動態皮膜と呼ばれる非常に薄い(数nm)保護皮膜(Crを主とする水和オキシ水酸化物)が形成され、その皮膜によって母材が保護されていることによる。
 しかし、ステンレス鋼でも溶接や切削などの加工を受けた場合や置かれた環境によっては、期待される耐食性が発揮されないことがある。特に局部的な腐食である孔食、すきま腐食、応力腐食割れなどが問題となることがある。そこで通常、加工されたステンレス鋼は、酸による洗浄によって清浄化して使用されている。また、この処理は表面に保護皮膜を生成させる不動態化処理の役割を兼ねている場合が多く、耐食性向上のための不動態化処理のみを目的とした場合もある。
 この様な背景の中、不動態化処理後のステンレス鋼の耐食性評価が求められている。そこで、本研究では、硝酸を用いて不動態化処理を行ったステンレス鋼についての耐食性評価を行った。耐食性評価は、ステンレス鋼で発生する局部腐食のうちの孔食に着目し、孔食電位測定と塩化第二鉄腐食試験を行った。また、X線光電子分光(XPS)分析は、ステンレス鋼の不動態皮膜などの研究に適応されている1)2)。本研究でも不動態皮膜についてXPS分析を行い、皮膜の構造と耐食性の関係について検討を行った。

2.実験
2.1 不動態化処理
 実験に用いたステンレス鋼は、板厚2mmのSUS430とSUS304である。その化学組成を表1に示す。これらを20×25mmに切断後、孔食電位測定用試料とXPS用試料は、片面(測定面)をバフ研磨まで行い、塩化第二鉄腐食試験用試料は、両面および側面を耐水研磨紙で#1000まで研磨した。
 これらの研磨試料について、不動態化処理を行った。処理条件は、SUS430については10、20、30、40、50mass%の硝酸水溶液を用い、液温30、40、50℃、浸漬時間60分、SUS304については50mass%の硝酸水溶液を用い、液温50℃、浸漬時間60分で行った。
表1 ステンレス鋼の化学成分
ステンレス鋼の化学成分

2.2 孔食電位測定
 孔食電位測定で用いた試験装置の概略を図1に示す。本装置は電解槽、参照電極、ポテンショスタット、解析用PCから構成されている。なお、対極にPt電極、参照電極には甘コウカロメル電極を用いている。測定試料は、前述の不動態化処理試料に導線をスポット溶接によって接続し、10×10mmの試料面を残して試験片および導線を絶縁物で被覆した。試験溶液は、5%NaCl水溶液を使用し、試験前にアスピレータによる脱気を60分行い、温度は30±1℃とした。また、測定中においても電解槽内の脱気を行うためN2ガスを流入した。
 測定は、試料を電解槽内の試験溶液中に完全に浸し、10分放置後、自然電極電位から電位掃引速度20mV/minでアノード電流密度が1000μA/cm2に達するまで行った。孔食電位は、アノード分極曲線において電流密度が100μA/cm2に対応する電位のうち最も貴な値とした。
2.3 塩化第二鉄腐食試験
 塩化第二鉄腐食試験において、試験で用いた溶液は、0.05mol/LのHCl水溶液にFeCl3・6H2Oを溶解して塩酸酸性6%FeCl3溶液に調整した。この溶液中に質量測定後の試料を水平に保持するように置き、35℃で6時間浸漬した。そして、浸漬後の試料の質量を測定して単位面積、単位時間当たりの減量(g/m2・h)を求めた。
2.4 XPS分析
 XPS分析では、深さ方向の各元素の濃度分布(デプスプロファイル)とCr2pスペクトルの測定をArイオンエッチングにより行った。用いたXPS分析装置は、サーモフィッシャーサイエンティフィック株式会社製K-Alphaである。X線源は、単色Al Kα線を用い、照射径は400μmとし、中和銃を使用した。定性分析であるサーベイスキャンは、パスエネルギー200eV、エネルギーステップ1eVとした。ナロースキャンは、Cr2pスペクトルについて、パスエネルギー50eV、エネルギーステップ0.1eVとして行った。Arイオンエッチング条件は、SiO2換算で10nm/minとなる加速電圧3kV、エッチングエリア2×2mmとし、エッチング間隔は2secで合計60secエッチングした。

孔食電位測定装置の概略図
図1 孔食電位測定装置の概略図

        
3.結果
3.1 孔食電位測定
 図2は、SUS430のアノード分極曲線である。一例として未処理試料と50℃の10%HNO3水溶液で不動態化処理を行った試料のアノード分極曲線を示した。この図では、曲線が急激に立ち上がった電位、すなわち電流が急激に流れた電位で不動態皮膜が破壊されたことを示している。この電位が孔食電位であり、孔食電位が高ければ耐食性が優れていることを意味する。この図から未処理試料より処理試料の方が、孔食電位が高くなっており、耐孔食性が向上していることがわかる。
孔食電位の測定例
図2 孔食電位の測定例

 図3に処理濃度と孔食電位の関係を示す。すべての処理試料が未処理試料より孔食電位が高くなっており、耐孔食性が向上している。また、低濃度のHNO3水溶液を用いた場合は、処理温度を高くすると孔食電位が高くなることがわかる。しかし、SUS430では処理濃度を50%まで上げると孔食電位が低くなり、SUS304も高濃度の処理試料では低い値であった。
処理濃度と孔食電位の関係
図3 処理濃度と孔食電位の関係

3.2 塩化第二鉄腐食試験
 図4に塩化第二鉄腐食試験における処理濃度と腐食量の関係を示す。すべての処理試料が未処理試料より腐食量が少なくなっているが、SUS304では、処理濃度の違いによる大きな影響は見られなかった。SUS430では、処理温度に関係なく10%HNO3水溶液を用いた場合が、最も腐食量が少なく、処理濃度および処理温度が高くなると腐食量が増える傾向が見られた。
処理濃度と腐食量の関係
図4 処理濃度と腐食量の関係

3.3 XPS分析
 SUS430(未処理、10%-50℃処理、50%-50℃処理)のデプスプロファイルを図5~7に示す。これらはC、O、Cr、Feの濃度の合計が100Atomic%として求めたものである。処理した試料は、4秒エッチング面付近においてFeよりもCrの濃度が高くなっており、表面付近でCr濃度が高くなっている。また、50%-50℃処理は10%-50℃処理より深い位置までO濃度が高くなっている。またSUS430(未処理、10%-50℃処理、50%-50℃処理)のCr2pスペクトルの深さ方向変化(3D表示)を図8~10に示す。ここで金属Crのピーク位置は574eV付近、Cr(Ⅲ)酸化物のピーク位置は576eV付近である。このことから10%-50℃処理試料は、未処理および50%-50℃処理よりも表面付近に酸化Crが濃縮して存在していることがわかる。
 次にSUS304(未処理、10%-50℃処理、50%-50℃処理)について、C、O、Cr、Fe、Niの濃度の合計が100Atomic%として求めたデプスプロファイルを図11~13、Cr2pスペクトルの深さ方向変化(3D表示)を図14~16に示す。これらの挙動もSUS430とほぼ同じであった。
デプスプロファイル(SUS430:未処理)
図5 デプスプロファイル(SUS430:未処理)

デプスプロファイル(SUS430:10%-50℃処理)
図6 デプスプロファイル(SUS430:10%-50℃処理)

デプスプロファイル(SUS430:50%-50℃処理)
図7 デプスプロファイル(SUS430:50%-50℃処理)

Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS430:未処理)
図8 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS430:未処理)

Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS430:10%-50℃処理)
図9 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS430:10%-50℃処理)

Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS430:50%-50℃処理)
図10 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS430:50%-50℃処理)

デプスプロファイル(SUS304:未処理)
図11 デプスプロファイル(SUS304:未処理)

デプスプロファイル(SUS304:10%-50℃処理)
図12 デプスプロファイル(SUS304:10%-50℃処理)

デプスプロファイル(SUS304:50%-50℃処理)
図13 デプスプロファイル(SUS304:50%-50℃処理)

Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS304:未処理)
図14 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS304:未処理)

Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS304:10%-50℃処理)
図15 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS304:10%-50℃処理)

Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS304:50%-50℃処理)
図16 Cr2pスペクトルの深さ方向変化(SUS304:50%-50℃処理)


4.考察
 孔食電位測定(図3)では、不動態化処理をすることにより未処理試料より耐孔食性が向上することを確認できた。しかし、硝酸濃度50%の処理では、孔食電位は低い値であった。これは適度な硝酸濃度の水溶液中では、自然浸漬電位が不動態域にあり保護性に富む不動態皮膜を生成するが、高濃度な硝酸水溶液中では、自然浸漬電位が高くなった過不動態となり、保護性に劣る不動態皮膜が生成したためと考えられる。また、XPS分析のCr2pスペクトルでは、SUS430、SUS304ともに10%-50℃処理試料は、Cr(Ⅲ)酸化物が表面に濃縮しており(図9、15)、この濃縮が耐食性を向上させていると考えられる。50%-50℃処理試料は、デプスプロファイルにおいて10%-50℃処理試料と同様に未処理試料より表面部のCr濃度が高くなっているが、Cr2pスペクトルにおいては、10%-50℃処理試料よりも深い位置までCr(Ⅲ)酸化物が存在していることを確認できる。このことから過不動態域では、深い位置までCr(Ⅲ)酸化物を生成し、この生成が孔食電位を低くする原因であると考えられる。
 塩化第二鉄腐食試験においても処理試料は未処理試料より耐食性が向上していた。しかし、孔食電位測定の結果とは異なる挙動を示した。SUS304では処理条件による耐食性の変化は、ほとんど見られず、SUS430では処理濃度および処理温度が高くなると腐食量が増える傾向が見られるものの変化量が小さかった。このことは、使用した溶液の不動態皮膜を破壊する能力が、十分に大きいためと考えられる。以上のことから、この試験は、不動態化処理の有無による差は評価できるが、処理条件の違いによる耐食性の評価には適していないと考えられる。

5.おわりに
 孔食電位測定では、未処理試料より不動態化処理試料の孔食電位が高くなっており、5%NaCl水溶液中での耐孔食性が向上していることが確認できた。また、XPS分析において不動態化処理試料は未処理試料より表面にCrが濃縮していることを確認した。この濃縮が耐食性向上に寄与するものと考えられる。
 硝酸濃度50%の処理では、低濃度で処理をした場合より孔食電位が低い値であった。また、XPS分析でのCr2pスペクトルは、10%-50℃処理試料よりも深い位置までCr(Ⅲ)酸化物が存在していることを確認した。この酸化の進行が、孔食電位低下の原因と考えられる。
 塩化第二鉄腐食試験では、未処理試料より不動態化処理試料の腐食量が減少した。しかし、処理条件の違いによる腐食量の変化は小さかった。これは、使用した溶液の不動態皮膜を破壊するする能力が、十分に大きいためと考えられる。

参考文献
1)杉本克久,岸興作,池田重良,沢田可信:“18Cr-8Niステンレス鋼の不働態皮膜のX線光電子スペクトル”,日本金属学会誌,Vol.38,No.1,1974,pp.55-62.
2) 岡本剛,橘孝二,柴田俊夫,星野清:“ESCAによるステンレス鋼不働態皮膜の解析”,日本金属学会誌,Vol.38,No.2,1974,pp.117-124.
  問い合わせ:新潟県工業技術総合研究所
        下越技術支援センター   諸橋 春夫、水沼 達郎
        TEL:025-244-9168   FAX:025-241-5018
      (令和4年2月3日)